2010年07月02日

いつも誰かの手をにぎっている



看護教育の勉強をしていた頃のこと。

教育カリキュラムをしめくくった、
ある、研修の事が忘れられない。


自己啓発の一環だったと思うが(記憶が定かではない)、
自分自身を開くための宿泊研修だった。


1泊2日の研修の最終日、
こんなプログラムがあった。


二人一組になり、片方が目をつむり、片方が手をひいて、
施設から公道をへて、一回りしてくる・・という内容。


単純なプログラムにように見えたが、
私にとっては、忘れられない経験になった。


目をつむり、パートナーに手をひいてもらう。


施設の中は、とくに緊張もしなかったが、
ひとたび、公道に出た瞬間、ビクッとした。


方向感覚が分からない状態で、車のエンジン音が近づく。

どれだけ遠いのだろうか・・・?
どれくらいの速度だろうか・・?
もう、すでに近づいているのだろうか・・?


急に不安になり、相手の手をギュッと強く握る。



視覚を遮断されると、他の器官である聴覚や嗅覚が
とたんに敏感になるようだった。

見えない分、必死に、他の感覚器で情報を得ようとする。

そして、それらを元に、イメージの中に風景を描いていた。


子ども達の声が聞こえる。小学校の前だろうか?
少し、交通量が減ってきた、大通りから離れたな。
土と緑の臭い。ぶどうか、桃の木だろうか?
車の音もなくなり、農道を歩いているのかな?

最初は、とても怖かったのに、
パートナーの手の温度と、自分の手の温度が
同じあたたかさになった頃から、
安心して、周りの風景をイメージすることが出来るようになっていった。



こうして、数十分の散歩を無事終え施設に戻った。

じつは、目隠しをされているわけでもないし、
絶対目を開けていけない訳ではなかった。
でも、私は、最後まで一度も目を開けなかった。



「相手を信頼して、すべてを任せる・・ということは
 どんな気持なのかを味わいたかったからだ。」



案の定、この研修のあと、私の気持ちは大きく変化した。


それまでは、


なんでも、自分1人でできる。
なんでも、人の手を借りなくてもできる。
自分はむしろ、人に手を貸す方だ。


・・と考え、振る舞うことが、美徳だと思っていたが、
それは、自分のおごりのような気がしたからだ。



誰かに頼ったり、誰かに支えてもらうことは
悪なんかじゃない。
自分はちょっとだけ苦手なだけ。


そう、思うことができた。


それまで、自分を追い詰め、自分を責め立てた気持ちが、
フッと楽になり、違う視点で人と接するようになった。



ずっと、楽な生き方になった。



これは、随分前の研修だが、昨日の事のように覚えている。

中でも、目隠し散歩で、手を引いてくれた手の感触とあたたかさは、最も鮮明に覚えている。



(でも、正直、誰がパートーナーだったかは、
 覚えていない。あせあせ(飛び散る汗)
 記憶って不思議。)



posted by yoko.goto at 23:20| 神奈川 ☁| 社会のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。